私は、秋田市南西部の豊岩で、農家の三男として生まれました。近くを雄物川が流れ、太平山を望む田園集落。まさに秋田の原風景ともいえるような土地で、子どもやお年寄りを地域で見守り、育て、支える、穏やかで思いやりに満ちた地域でした。
もの心がついた頃には、既に二人の兄と一緒になって野球に打ち込んでいました。いちばん上の兄が甲子園を決めた試合を観戦し、選手一人ひとりがチームの勝利のために全力を尽くす姿に強烈な感動を覚えました。甲子園出場が夢になったのはこのときです。その夢をくれた兄は60歳という若さで他界しましたが、今でも身近なヒーローとして尊敬しています。
豊岩中学校を卒業後、兄の背を追って秋田高校に進学。受験勉強は大変でしたが、兄と同じユニフォームを着て甲子園に出場したかったのです。1学年下には、後にプロ野球で活躍し、今は参議院議員を務める石井浩郎さんもおり、共に野球に打ち込みました。3年では主将を任され、全員野球で甲子園出場を目指しました。高校最後の公式戦となった夏の県大会準々決勝、同点に追いついた9回2アウト2塁の場面、私は1球も振らずにフォアボールを選び、結果としてチームは延長戦で敗れ、夢は叶いませんでした。
押せ押せムードのなか、「なぜもっと積極的に向かえなかったのか」、「主将として責任を持つ覚悟が足りていなかったのではないか」、今でも胸に刺さるものはありますが、この場面に真剣に向き合ったことが、その後の人生の転機にもなりました。